共生社会フォーラムに出演させていただきました
全ての国民が、障害をはじめとする生きづらさの有無によって分け隔てられることなく、人の尊厳の輝きを認め合いながらともに生きる共生社会の実現が求められています。しかしながら“生きる意味のない命がある”“障害者は社会に不幸をもたらすだけ”という考えに同調する声もあるなかで、共生社会を実現させるためには、その基本理念について福祉分野をはじめ広く社会に普及させる必要があります。誰もが等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるという理念等について学び、自らの実践につなげ、さらには所属や地域社会に向けて普及啓発していく人材の養成研修を組み込んだフォーラムを実施します。
そして、親子が「親と子」の役割から外れて、一人の人間同士として互いを尊重し合うにはどうしたらいいのか。そのヒントをアートに見出していることなど。
歌を取り混ぜながらお話させていただきました。普段のライブではなかなかできない、ディープな内容(笑)そしてディープな歌。
1、価値
2、Strings
3、ばかみたい
4、いのちの理由(さだまさしさんCover)
その中で、2016年に神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で発生した事件についてのお話があり…。亡くなった19名の方が、それぞれどんな方で、どんな人生を生きていたのか。遺族の方が語った言葉を紹介されていたのですが、これがなんとも言葉にならない…考えさせられる時間でした。
以前、この事件について書かれた記事を読んだ中で、加害者の植松被告が、「あなたは障害を持つ方々のことを、生きている価値のない人間と言っているが、そんなあなた自身は価値がある人間なのか?」というようなことを問いかけられた場面がありました。そこで答えたのは、「…いいえ、価値がないと思います」だったことが、印象に残っています(原文のままではないと思います)
他人の命を価値がある・ないで判断してしまう人というのは、その人自身が幼い頃から自分の命の価値をジャッジされる環境で生きてきたのかもしれません。
そして、遺族の方の言葉の中で心に刺さったのは、「(障害のある子を育てていて)苦労は多いけど、不幸ではなかった」という一文。私はよくTwitterで子育ての大変さを呟いたりしますが、大変だけど、子どもが居なくなればいいとは思わないんですよね。「そんなに大変大変と言うなら産まなければよかったのに」という極論のやり取りも見かけたりしますが、そういうことじゃないんだなあと…。
"大変だった。追い詰まる時もあった。でも不幸ではなかった"
そういう物事って、たくさんあるよな、と。
「生きているだけで価値はあるんだよ」と、曲の中で歌っている私ですが(「価値」という曲です)私自身、親の理想とする子どもになれなければ価値がないんじゃないかと怯えながら育ったので、迷いなく「生きているだけで価値はある」と自分に対して言い切れないところがあるんですよね。無意識に、「生産性」という物差しで自分をジャッジしている時がある。
いくら幼児期に自己肯定感を高めても、義務教育に入った途端に全ては成績・点数で判断されて、順位が決まって、優劣が決まってしまうのかな。いや、疑問を持ち続けていれば、きっと同じような考えを持つ人と繋がっていける。諦めずに、疑問を持ち続けたいです。
そんなことを考えた1日でした。
貴重な機会をいただき、有難かったです。
ではでは。今夜は白菜と豚肉でお鍋にします。
愛を込めて。
松本佳奈
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