しくじり先生
こんにちは、松本佳奈です。
最近ライブのお知らせやレポートばかりですが、今回は昔話。
2012年に、初めて50席以上の規模でのワンマンライブに挑戦しました。恵比寿にある天窓Switchさんというライブハウス。着席で70〜80名入るような大箱を埋めるなんて、当時の私はとても考えられませんでした。
27歳の冬でした。
東京に住んでいた頃、毎回のライブに来てくれる人数は0〜3名ほど。ワンマンライブはすごくすごく頑張って15名。
18歳で音楽事務所の詐欺に遭って抱えた借金の返済が24歳頃になっても毎月15万くらいあって、さらに家賃と生活費でカツカツの毎日。昼はパスタ屋と英会話教室の受付を掛け持ちして、夜はキャバクラで働いて、土日はライブ…という、今考えると恐ろしい生活をしていました(笑)
25歳の時、もう無理だと思い木更津の実家に戻りました。というのも、
①音楽活動も、お客さんが増えず平行線。生活もぐちゃぐちゃ。
その時働いていた英会話教室では、寝坊して遅刻したり、受付中に寝てしまって(人と喋っていても寝てしまうので、人がいなくなるともうだめでした)起きたら目の前で上司が怒りに震えていて、もう辞めようと決意。
②夜に働いていたライブバーでもミスが多くてよく怒られ、最終的にオーナーに胸ぐらを掴まれて怒鳴られるほどの事態になり、クビ同然で辞める。
③住んでいた家の家賃も払えなくなり、家主に「ごめんで済んだら警察いらねえんだよ!」と怒鳴られ、平謝り…。
ほぼ夜逃げ同然で荷物をまとめて木更津に逃げ帰って来たのが2010年です。
弁護士事務所で債務整理をして借金をまとめ、「真面目に働こう…」と販売店に契約社員として勤め始め、すっかり音楽から遠ざかろうとしていた2011年。東日本大震災が起きました。
…そこから1年…。私は恵比寿で、自身最大規模の80名越えのワンマンライブをすることになりました。それが当時の私にとってどれほど無謀な挑戦だったか、というのは、そんな経緯があったためです。
これはその時のフライヤー。
喧嘩したとき、とにかく言い負かそうと躍起になって、わざと相手が傷つく言葉をぶつけてしまうことがある。
ある時ふと思った。
「あれ?私、この関係をどうしたいんだろう…」
相手を傷つけてぼろぼろにして、それで?
いつの間にか、頭の中は「私は悪くない!」でいっぱい。
わかり合いたいから喧嘩しているんだ。
視点を変えれば、
つい意地を張ってしまったり、些細なことですれ違ったり、人を否定することでしか自分を認められなかったり…
私の歌は、そんな風にギクシャクしてしまった関係をもう一度繋ぐものでありたい。そういう想いで、曲を書いています。
ファンの皆さん、友人、家族に支えられて4年間やってきました。
私の可能性を信じてくれてありがとう。
12月1日、恵比寿でライブします。
これまででいちばん大きなワンマンライブ。ここがスタートです。
私のステージは私にしかできないと、今は胸張ってそう言えます。
お待ちしています。
------------------------
ギクシャクした関係を修復したかったのは、他の誰でもない、自分でした。東京で暮らして築き上げてきた繋がりのほとんどをぶち壊して木更津に逃げてきた自分が恥ずかしかった。
人から怒られるたびに私の根底にあったのは、「私は悪くない!」という気持ちでした。詐欺に遭って少なからず(というかだいぶ)傷ついていた心を見ないふりして、開いてしまった穴を埋めるのに躍起になって、とにかく周りから認めてほしくて、必死だった。そういう気持ちでいたから、あんなに苦しかったんだなあと今は思います。
2012年の冬。
その時はまだそんな自分の気持ちを直視できていませんでした。
けれど、後ろ向きな私の背中を押し、ケツを叩いて、再び音楽の道へ挑ませてくれたプロデューサー時乗さん。そして私の伸び代を信じて応援し続けてくれたファンの皆さんのお陰様で今があります。
あれから6年。
たった6年、されど6年。
今年で33歳になります。
昔話をするには早すぎます。
しかしまだまだ20代を振り返って書けることは色々あるのですが(結婚離婚のこと、入院したことなど)あまりに話が散らかるのでいっぺんに書けません。そのうちぶっちゃけエッセイを執筆しようとしています(笑)
後日談的にかいつまんで書くと…
2013年、1年足らずの結婚生活に終止符を打ちます。その時に、「ここ数年、こんなに人と衝突を繰り返してしまうのは自分に原因があるのかもしれない」と、始めて深く自覚します(それまでは表面上でしか自覚していませんでした)
それから、
私はどういう人間なのか。
何ができて何ができないのか。
何に傷ついているのか。
何を考えているのか。
自分の声をちゃんと聞こうとするようになりました。それは今も続いています。
当時衝突したり、迷惑をかけてしまった人たちに「私が悪かったです、すみません」と改めて手紙を出しました。これで許してもらおうなんて甘い、と思い止まる自分もいましたが、たとえ許してもらえなくても気持ちを伝えておこうと思い、送りました。
最近ではライブに来てくれる人も増えて、ファンクラブまで設立することができて、こんな未来が来るなんてあの頃の自分には考えられなかったなあといつも思います。
有難いです。ありがとう。
私の音楽を聴いてくれる人がいること
ライブに足を運んでくれる人がいること
協力してくれる人がいること
仕事や機会をくれる人がいること
それがどれだけ私を支えてくれているか。
立ち直らせてくれているか。
本当に、お陰様です。
ありがとうございます。
なーんの節目でもないけれど、2012年のフライヤーが発掘されて、当時のことを色々思い出して書いてみました。また書くかもしれません、違う角度で。
今この瞬間も、数年後から見れば「まだまだ何もわかっちゃいなかったな」と思うんだろうな。
ではでは、今日も素敵な1日を。
愛を込めて!
松本佳奈
0コメント