依存からの脱却
こんにちは、松本佳奈です。
屋久島から始まり、久々の恵比寿から、初の個展から、チーズ工房【千】senでの命への祈りから、君津の八重原公民館で多様性についてのトーク&ライブ…という怒涛の1月がひと段落。
自分でも、「体調崩すことなく乗り切れるのか?」と不安でしたが、意外といけた(笑)たくさんの人に助けてもらいながらだったからな。一人だったら辛かった。
あちゃーと頭を抱えるようなうっかりミスも一緒に大笑いできる友人たちが側に居てくれてありがたいです。ここまで生きてきてよかったなー←大げさじゃなくほんとに
人に合わせなくなればなるほど、合う人が側に残る不思議。気を遣って好かれようと努力したりしなくて良いのだ。
気が進まない所には行かなくていいし、ピンとこない時はお断りしていい。削ぎ落として削ぎ落として、気持ち良く軽やかに生きるのがいい。
依存について
べったり、どっぷり、何かに依存することに対してものすごく嫌悪感がある。そういう人が近付いてくるとわたしは逃げる。
依存は苦しい。楽だけど苦しい。
依存しているうちは安心。だけど対象がいなくなったら何もなくなってしまう恐怖に駆られて束縛したり、追いかけ回したり、べったりしていないと気が気じゃないのだ。
依存する人は常に他人に矢印が向いていて、自分に向いていない。
あの、息が詰まる感じ。抜き差しならない緊張感や、行き所のない寂しさを他人に埋めてもらおうとするあの嫌な感じ。
依存されたくないから、逃げる。
手の届かないところまで逃げる。
そうやってわたしは、親から逃げて来たのだ。
これを書いててわかった。なぜわたしがこんなにも依存されることに嫌悪感があるのかというと、母からの依存にずーっと悩んできたからだ。
音楽活動が人生の根幹にあって、結婚して、子どもが生まれて、日々慌ただしく過ごしていたら、いつの間にかずいぶんと遠くまで来ていた。
もうここには、親の手は届かない。
夫とお子がふざけ合ってギャハハと笑い合うのを眺めながら、「これはわたしの家族なんだ」とハッとした。
家族ができたんだ。
少し前まで他人だった人が家族になっているのも不思議な気持ちだし、少し前まで存在もしなかった生命体がちゃっかりここにいるのも不思議な気持ち。
母とはほとんど会わないけど、それくらい離れてやっとお互い対等に話せるようになった気がする。母は母の人生を、わたしはわたしの人生を歩んでいる。
中学生の頃、当時付き合っていた人と家の電話の子機で通話をしていると、決まって親機から母が盗聴していた。
高校生の時、部屋に隠していた日記がある日リビングのテーブルの上に置かれていて、「こんなこと書かないで」と説教された。
あの頃の、常に監視されている感じが、染み付いているんだろう。わたし自身も、母の依存にどっぷり依存していたのだ。
依存は怖い。束縛は怖い。
こうやって意識しているから、逆に依存体質の人を呼び寄せてしまっていたのかもしれない。
もう大丈夫。
手放す。
いらない。
わたしはわたしの人生を生きるし、
母は母の人生を生きる。
そのための過程だったんだな。
…ということを、何度も何度も確認している。タマネギの皮を剥くように、剥いても剥いてもまた出てくる。だんだん軽くなってきているけど。
それくらい根深いんだろう。
きっとまた確認する時が巡ってくる。
少しずつ少しずつ、身軽になっていく。
今まで気になっていたことが気にならなくなってくるって、ほんと楽!
ごちゃごちゃと煩わしいことは、どんど焼きで焼いちゃおう。
2月。
節分。
冬が終わり、春へ向かっていく節目に。
あなたの心も軽やかでありますように。
愛を込めて!
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