自分自身の言葉を守ること
こんにちは、松本佳奈です。
昨日は、木村泰子先生の講演会に行ってきました。まさか木更津に来てくれるなんて!
木村先生をご存知ない方へ。インタビュー記事です。
木村先生は大阪にある大空小学校の校長先生でした。特別支援学級をつくらず、障害を持つ子もみんな同じクラスで生活する。貧困家庭、虐待、いじめ、大人を信じない子どもたちも、誰も排除しない。レッテルを貼らない。
大空小学校のことは「みんなの学校」というドキュメンタリー映画になっています。
私は中学のとき不登校でした。当時いじめもあったし、クラスは学級崩壊していました(とはいえもう20年も前のことです。やですねこんなに覚えてるの。笑)
そしてADHDという発達障害の注意欠陥タイプ、グレーです。集団生活はできません。
ライブ活動を始めてから、歌手や画家や、チーズ職人やセラピストや、山伏や、もう書ききれないほどの様々な分野で活躍する仲間に出会いました。その中には、重度の障害を持つ人もいます。(冒頭の写真の朝霧裕さんとはもう何度も共演している仲。ワイン大好き)
福祉の仕事に携わる友人、また、私に演奏依頼を下さる福祉施設の皆さんのお陰様で、障害を持つ方とお会いする機会も多いです。
誰も、同じ人はいないです。
みんな違う意見を持ち、意思を持っています。
今日木村先生の講演を聞いて考えたのは、
障害で一括りにしない
健常で一括りにしない
個々の意見、主張、個性を互いに尊重する
相手の話を聞く
事情を理解する
結局そこなんじゃないか。
いろんな意見があっていい。それぞれが正しさを持っている。折り合わないこともある。100人いれば100通りの感じ方、考え方があって当たり前。そこにジャッジはいらない。正解はない。
「おもしろかったです」
「どの辺りが面白かったの?」
「………」
と、子どもたちが言葉に詰まってしまうのは、自分の意見ではなく大人が用意した台詞を言わされてきた経験や、大人が求める正解を察しないと怒られるというプレッシャーがそうさせるんじゃないかと感じるときがあります。
私自身が、そういう子どもでした。
親や先生が求める自分になれば褒められる。親や先生が求める自分になれなければ価値がない。そう思って子供時代を過ごしてきました。そんなこと繰り返していると、自分というものが無くなっちゃうんです。
自分自身の言葉を守ること。
誰かの期待に応えられなくても、いいや!
知らんがな!
命を守ろう。
そんなことを考えた講演会でした。
SNSがこれだけ広まって、1億総ジャッジ社会だなあと思っています。いつも誰かが誰かを責めている。審査している。匿名の大人たちが口汚く罵り会うのを子どもは見ている。
私の中の子どもが見ている。
そして見られている大人です。
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