主張=ワガママ なのか、どうなのか。
こんにには、松本佳奈です。
寒い、寒い、朝!
明日はいよいよ今年最後のライブです。
楽しみだなあ。
昨日、過去の辛かった時期の夢を見て、「おおー…気分悪い…」と呟いて夜中に起きました。理不尽を押し付けられる夢。あんなに辛かったことを、どうして当時はわからなかったんだろう。
「我慢して我慢して、限界がきて爆発して、すべて捨てて次の場所へ逃げる」というやり方しかできなかったから、主張するとか、対話するとか、その辺の能力が育っていないのを節目節目で感じることがあります。
主張しても相手が不機嫌になるだけ。
対話しようとしても平行線で、
さらに相手が泣き出したり、怒り始めると、私が折れない限りこの場は収まらないんじゃないかという気持ちになって、「はい、あなたが正しいですね。私が間違っていました」と、話を終わらせる。諦めて相手に合わせてしまった方がずっと楽。
それを積み重ねていった結果、私は自分の気持ちを見失っていきました。人に委ねる、人の言う事を聞く、自分は主張しない。
たまに何か自分の考えを話すと、「なんでそんな考え方になっちゃったの?それじゃダメだよ」と正される。
元を辿れば家族の中で。
家族から逃げれば、学校の中で。
アルバイト先で。音楽で関わる人の中で。
相手が持つ「絶対的な正しさ」の前に、屈するしかない。逃げても逃げても、逃げた先で同じことが起こる。
これはもう、私に原因があるんじゃないか。
もう繰り返したくない。
そう思ってはみたものの、具体的にどうしたらいいのかわからない。
「もっと自分の考えを貫いたらいいんだよ」と言われても、そんなことしてたら話が平行線でいつまでも終わらないし、相手は怒ったままだし、解決にならないじゃないかと思っていました。
それが20代半ば。
あれから10年近くが経った今も、「絶対的な正しさを持つ相手とどう対話して折り合いをつけるか」は、私の大きな課題です。解決はしていません。
主張は貫くようになりました。
「ここは譲れるけど、ここは譲れない」をハッキリ言うようになって、離れて行った人もたくさんいます。
相手が怒ったままでいることは気まずいし、なるべく嫌われないでいたいけど、今はこうするしかない。
きっと時間が解決してくれる、と、流れを信頼して手放すことも大切だと知りました。
嫌ったっていい
泣いたっていい
爆発的に怒ったっていい
思い切り喧嘩したらいい
平行線だっていい
「私とあなたはここが合わない」がハッキリすれば、逆に自分には何が合うのかが見えてくる。主張を貫けば、似た考え方の人と出会うようになる。
全く同じ考え方の人はいないから。
違う価値観のぶつかり合いの中からしか生まれてこない未知なる素敵なものが確かにあって、そういう場面に出会った時、涙が出るほど感動します。
「私は私」
というのは、決してワガママを貫くということじゃなくて。
「私こういう人。あなたこういう人。じゃあこの問題をどうやって解決していこうか?」という対話のための最初の一歩が、「自分自身はどういう人間なのか、まず自分が知っておくこと」なんじゃないかなと思います。
相手が怒ったり泣いたりしていて対話ができない時、すごくドライかもしれないけど、「この人は怒ったり泣いたりして相手に自分の言う事を聞かせようとする子供みたいな人なんだな」と思って離れるようになりました。
それはその人自身の問題だから、取り合わない。距離を置くことが解決に繋がることもあると思っています。
朝からつらつら書きましたがまとまってないかも。いずれこういう考察が曲になっていくんですな。
答えはないです。
人の数だけ、ケースバイケース。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
今日も素敵な1日でありますように!
愛を込めて。
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