他人の選択に興味はない
こんにちは、松本佳奈です。
本当に久しぶりに、石とガラスと鳴り物たちを洗って拭いて天日干し。いつの間にこんなに増えたんだ…。光に透けた気泡の美しさ。
緑のスライムみたいなガラスは先日の岩国で買ってきた蓮根ガラス。蓮根を焼いて炭にして、それを練り込むとこんなに綺麗な緑色になるんだそうです。
そして庭で絵の具遊び。お餅より私が楽しんでいた。しかし日差しが強すぎて10分で終了。
ここからは昨日の深夜に書きたくてたまらなくなったことを。
小学生の頃、運動会のリハーサルも、卒業式のリハーサルも、大嫌いだった。地獄のように辛かった。間違えないように、決まった台詞を、その時の自分の感情とは無関係に淡々と行なっていくという行為は不自然だと感じていた。
将来、人前に立って話す機会があったら、例え上手く喋れなくても自分の言葉で喋ろうと決めていた。誰かが用意した台詞を読むなんてまっぴらだと思った。
今。毎日、予想もしていなかった人との出会い、表現の機会に恵まれていて、その度に、生きたかった人生を生きれていることへの有り難みを感じる。そして、予定調和があるから安心して踏み外しもできるんだということ。他人が用意した台詞を読む面白さも感じている。
一度否定して狭まったものが、経験して、気付きを得て、ふわっと広がる。その過程すべてが可能性に満ちて、きらきらと光を放っている。
6年前離婚したとき、誰かの価値観に縛られて自分の可能性を狭めるような生き方はもう絶対にしないと思った。私は私、人は人。他人の人生の選択には全く興味がない。それぞれが好きに生きたらいいと心から思う。唯一の願いは、それぞれが好きを選択できる世の中でありますようにということだけ。
だから私がやりたいことは世界平和で、異なる価値観同士が尊重し合って生きるにはどうしたらいいのかを突き詰め表現することです。 アート、想像力、自己表現は、その鍵になると実感しています。
自己否定、卑下、比較や嫉妬がなくなって
自己受容、自己肯定、私は私、あなたはあなたと尊重し合えたら。
価値観の違う人同士でも、同じ生き物としてこの地球に生存するために、「自然環境と調和する」「子供達が健康に生きる環境を整える」という部分は共通の目的として協力し合えたら。
大人こそが、自己表現したらいい。
子供のためじゃなくて、まず自分自身が。
否定され、型に嵌めらて、失って諦めて枯れてしまった心に水をあげること。奪われてしまった自分の言葉を取り戻すこと。
そこには可能性と希望があって、きらきらと光を放っている。
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